01月29日

テンカラ徒然草


 「私がテンカラにのめり込む訳」

 道具立ての簡素さ、竿、ライン、ハリスおのおの一本、毛鉤一個で、
 「その他必要な物は何も無い」シンプルさ。
 だからこそ道具はあたかも体の一部のようになりえるのです。
 そして魚を獲る特技を持った動物として川を駆け登る楽しさは、他に代えるものがないほどです。

 仕掛けの至らぬ所は技で補う、
例えば魚との距離が取れないところは、その接近法(アプローチの仕方)を体得する、
毛鉤の素朴さを毛鉤を操る事で補う、(フライとは決定的に違う)
毛鉤を目印として認識する技術を身に付ける、まずは毛鉤を見失わないための正確なキャスティング、
流れの中でも見失わない為の毛鉤との意思疎通、等々。
このように、この釣りにおいては、仕掛けよりも、釣り手の技術の方が重要だという事です。
最終的には、道具を選ばず魚を釣り上げる領域にまで至りたいものです。
私は、技術の至らない分、竿、ライン、ハリス、毛鉤などの仕掛けにこだわる所があります。
しかし、あくまでもテンカラはシンプルさを追及する釣りだと思っています。
この技術が身についたから、この部分の道具へのこだわりは捨てよう、
もう一つの技術が身についたから、今度はこの部分の道具へのこだわりは捨てよう
そうして行き着いた、「そぎ身の釣り」が、わたしのテンカラの理想なのです。
理想を求めてますますテンカラにのめり込んで行ってしまうのです。



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